感覚的、芸術的
感覚的、芸術的、なものが広告の本来の効用かといえば、どうもちがうように思う。 広告は、本来は、なにかを知らせるというためのものであり、正確な情報が主体とならなければならない。 ただ、広告の媒体として紙が使用された、という制約条件があるために、「やむをえずに」情報量をしぼっているにすぎないのだ。 ここで、「情報量」をしぼる必要がなくなってしまったら、どうなるのだろう。 インターネットでは、紙の使用と、決定的にちがうところがある。 紙は情報の伝達に高価なコストがかかるので、情報量を有限にせざるをえない。とくに、広告の場合には情報量が極端に制限される。 インターネットでは、情報の伝達にコストがほとんどかからない(厳密には無料ではないが、事実上は無料にひとしい)。そのため、情報量は無限にできる( 無限に近い)。 とくに、インターネットの世界で大きな役割を果たす検索エンジンにおいては、基本的に、情報量が多いサイトが有利である。 そう、インターネットでの情報伝達で革命的なのは、もはや、情報量を制限する理由がない、ということだ。 広告的なホームページ( 検索連動広告については、ちょっと置いておく)においては、情報量を多くした方が有利であり、また、情報量を多くしても、コストの増加は微々たるものにすぎないのだから。 そうすると、広告的なホームページを追求すると、サイトの情報量を無限にすることが合理的である。 広告的なホームページは、商品について無限の情報量を提供することになる。 これは、もはや、広告という既成の概念では、とらえきれないのではないか。 なにものかについての無限の情報量をもつサイトは、その、なにものかについての教育と同視することができるのだ。- 次のページへ:過払い請求解決は知識必要
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